色々あったけど生きています。
こんばんは、うさたまです🐰
またしても随分とお久しぶりになってしまいました。
待っていてくださった方がいれば、ありがとうございます🙇♀️
更新していない間にたくさんのことがありました。
長い長いうつとの闘い、躁での散財、大量服薬による入院。
本当にいろんなことがありました。
今回は大量服薬のことについてお話ししようと思います。
ある夜、本当に生きているのに疲れてしまって、150錠以上の睡眠薬と安定剤を飲みました。
呼吸が止まって死ねればな〜。と、遺書まで用意して挑んだのですが退院後の通院で先生に「薬では死ねないからね。苦しいだけだからもうやめよう?」と言われてしまいました。
大量服薬したのは朝方4時ごろで、死ぬなら旦那の隣で死にたいとベッドに行き眠りにつきました。
記憶にないのですが、旦那に「苦しい、助けて」と唸って助けを求めたようです。
遺書を用意するくらい死ぬ覚悟を決めていたはずなのに、無意識では生きることを望んでいたんだなと、旦那から話を聞いた時に絶望しました。
普通は生きたいって思えてたんだ、と喜ぶところなのでしょうか?
まだ答えは見つかりません。
旦那が大量の薬の飲み殻をみつけて、訪問看護にオンコールし、救急車を呼んでくれました。
入院中の記憶はなく、帰ってきてから数日の記憶もおぼろげです。
医師の指示で、二週間毎日訪問看護を受けるようになりました。
看護師さんが毎日様子を見にきてくれて、体調や悩み事について話を聞いてくれます。
毎日はキツイな…と思っていましたが、死にたい気持ちがおさまっていなかったので、結果的に訪問看護があって話を聞いてもらえてよかったなと思っています。
また、薬の管理も訪問看護の方にしてもらうように医師から指示があり、自宅で薬を管理することはできなくなりました。
今の家に引っ越してきて大量服薬をしたのは二度目で、一度目に救急車を呼んだ時「こういう事では呼ばないで」と旦那が救急隊員の方に怒られたそうです。
でもまた、救急車で運ばれる事になり申し訳ない気持ちでいっぱいです。
もう大量服薬はやめようと「今は」心から思えています。
でも、本当に全てから逃げたくなった時どうしたらいいんだろう。と不安があるのも事実です。
薬を飲んでも逃げられるのはひと時とわかってはいても、薬に頼りたくなる時が私にはどうしてもあります。
他の方法を探さなければと思うけど、「他の方法って何?そんなのあったら困ってない」というのが本音です。
常習的に大量服薬をしているわけではないのですが、逃げ道の一つが失われたのは結構なダメージです。
暗い話が続きましたが、繰り返すうつの合間にギターの練習をしています。
うつで練習できなくて、爪が伸びてしまったのを見て「頑張れてないな…」と落ち込みながらも、止めることはせずできる時に少しずつ練習しています。
亀足行進でも、諦めなければ弾けるようになると信じて頑張るのみです。
音楽で挫折と絶望を味わい、まだ苦しみの中にいるけれど、音楽にたくさん救われてきた思い出と理想の自分になるためのチャレンジをしています。
このブログのタイトルにあるように、わたしは「双極性障害でも音楽と生きたい」です。
DTMは今おやすみしているのですが、頭の中にフレーズが浮かんだ時、ボイスメモに録音して、「これをまた形にできるようにするんだ。」と願うように思っています。
生きるのも辛くて、やりたい事をやるにも足を引っ張られて、病気なんかいらないのにって悔しくて泣いて。
そんなことを繰り返しながらずっと生きていくのかなってとても苦しい。
働きたいし、家事もちゃんとこなして、旦那の支えとなれる相手でいたいのにうまくできない。
情けなくて、自分には生きている価値なんかないと思う。
みんな「生きていてくれればそれだけでいいよ」って言ってくれるけど、生きているだけでもお金はかかるし、この病気をもっていて「生きているだけ」がどれだけ難しいことなのか理解してもらえない。
生きていることを望まれる嬉しさと同時に、理解してもらえない悲しみもあります。
こんなの贅沢ですよね。
気持ちの整理ができなくて、推敲する気力もなくて、まとまりのない文でごめんなさい。
ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
今はなんとか、「生きる」ことを頑張る事と、「病気に負けずになりたい自分になる」ための道筋について考える事をやりたいと思います。
未来の自分がいるとしたら、今のこの苦しみも「大丈夫だったよ。がんばったね。」って言ってくれるような自分であって欲しいと祈るばかりです。
遺書を書いたけど、もう新しく書くことがなければいいな。
生きるって苦しい。
負けるもんか、って言えないのが悲しい。